明日でいつも参加しているFNMに参加できる最後の機会なので、5年間通ったFNMの思い出などを綴っていく。誰得。基本的に時系列順です。


・初参加のときは気合を入れて予約をして参加するも余裕の0-3。当時は参加頻度が少なかったとは言え初勝利まで3ヶ月はかかった記憶がある。ちなみに初優勝するまでには軽く1年以上かかっていたはず。


・初めて貰ったFNMプロモは《怒鳴りつけ》。当時はランダム賞がなく単純に上位4名に配布だったのでその喜びはひとしおだった。


・そのときは《怨馬》と《プリン・アーゴルの白鳥》を並べて、《紅蓮地獄》や《炎渦竜巻》を連発するデッキを作っていた。当時から除去が好きだったんだなぁ。こちら先手で《精神石》から《白鳥》を3ターン目にだしたら返しで《突撃の地鳴り》を出されて目の前が真っ暗になったことがある。結局は勝ったけど。


・アラーラ再誕くらいから参加人数が減り始める。四人とかの日もあった。自分も多色セットにやる気だだ下がりで参加頻度が落ちる。


・初優勝を飾ったのはZEN発売直後のヴァラクート。当時はまだメタ外だったので割りと勝ってた気がする。このころから参加人数が増え始める。


・《吠えたける鉱山》を使ったデッキで突撃したら、もう一人《鉱山》デッキの人が居て衝撃をうける。これがあとろさんとの出会い。このときのデッキはあとろさん赤青《紅蓮術士の昇天》、私赤青《ルーン炎の罠》デッキだったと記憶している。


・ちなみに鎌虎くんともこの時期に出会った。今だから言えるけど、あまりに色んなひとに話しかけているもんだから、実は彼は私が知らないだけで柏MTG界を牛耳っている黒幕(??)なのではないかと思っていた。もしくはゲイなのかと


・ネタデッキを作ることが多かったが、一回勝つと欲が出て勝つためのデッキ(赤単、ボロス)も使うようになった。


・実はこのころに作った、《審判の日》と《地震》をそれぞれ四枚投入したトリコロールが今でもかなり気に入っている。ちなみにこのデッキは神ジェイス登場により揃えるお金がなくて使わなくなった。


・ミラ傷ブロックの発売によりアーティファクト好きの自分としてはモチべが急上昇する。カルドーサのフェニックスとか好きだったなぁ。
このときマイアデックウィンをもって行ったら、あとろさんとネタ被りしたのを覚えている。あとろさんがマイアデッキにマスティコアを入れていて、それに蹂躙されたのを今でも怨んでいる。それマイアじゃねーからぁぁ。


・ISD発売くらいからたまに柏以外の大会に足を運ぶようになる。ISDのプレリで超強いプールで調子に乗ってタッチ《ガヴォニーの居住区》と言う暴挙にでてしまい肝心なところで盛大に事故って負ける。


・M13発売くらいからDNを始める。実はDNを始めたきっかけは《交易所》である。M13発売日に黒単《交易所》デッキで圧勝して、このデッキは自分のオリジナルデッキの中で明らかに最強であると感じた。同時にいずれは《交易所》の強さに世界中が気づくと思い、それでもし交易所がトップメタに躍り出ても「俺前々から注目してたしー」とドヤ顔するためにDNに記録しておくことにしたのがDN開始のきっかけである。アホである。
またこのデッキは明らかに強いとの確信があったので、このころから頻繁にGPTなどの柏以外の大会にも出るようになっていた。


・ただこのデッキはデルバーに弱いという致命的構造欠陥があったため、要所で勝ちきれず微妙な成績しか残せなかった。それでもこのデッキの通算勝率は七割を超えていたと思う。ことFNMに限れば八割以上勝っていたのではないだろうか。


・ミラ傷ブロックがローテしてしまい《交易所》デッキは自然消滅。やる気も急降下かと思いきや、《交易所》のおかげで勝ち癖がついたのかコンスタントにFNMでも勝てるようになった。断じてカードパワー(雷口のヘルカイト)の奴隷に成り下がったからではない。





長々と書いてしまったが、こんなところで。あしたは最後のFNMがんばるぞー。byeさんだけは勘弁してください。

コメント

鎌虎
2013年3月22日14:17

ゲイじゃねぇーから!!

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